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2025年の勝負作、大詰めのネーム公開。


今年もよろしくお願いいたします!

クリスマス直後に体調を崩してしまい、コルクの忘年会にも行けなかった
つのだふむです。

磐石の健康管理をしていたつもりだったのに、ショックでした!!

なんとか数日で立て直し、年末年始は無事に過ごせました。


2日から合間を縫って、仕事をはじめています。

春に発売の糸島の観光雑誌「別冊ぐる〜り糸島」に、糸島オススメスポットを紹介する糸島STORYが掲載されるので、福岡在住のふむダチ、ぜひ買ってね!!



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●「余白」について考える。

体調を崩して休んでいる時、熱が下がったタイミングでNetflixで「ドライブ・マイ・カー」を観たのですが。

それを観終わって感じたのは、「会話でしっかり、その人物の思っていることを喋ったりするが、それが説明的とは感じず、しゃべればしゃべるほど、観ているこっちが色々と考え始める余白みたいなものがある。」という事。

僕はこの作品、かなり良かった。前に軽い気持ちで観始めた時、出だしがちょっと重くて途中でやめてしまっていたのだけど、観続けていくと、冒頭のシーンが大切なシーンだったとわかってくる。

語れば語るほど、説明されていくのではなく、むしろその逆、こちらが考える、感じ取れる情報が増えていくのがすごいと思ったのだ。

すべてのシーンや芝居が「ここに繋がるのか」「この意味だったのか」としっかりわかる作りにもなっているのに、パズルのようには感じず、物語の流れには常にリアリティを感じる。

僕は「余白」と言うのは、語らなかったり、間を作って観察させたり、意味があるのかわからない場面を入れたりして、考えさせるものだと思っていたけど、どうもすごく浅はかだったみたい。

劇中の演劇の稽古シーンで「感情を一切込めずに、セリフを読んで」と指導するシーンがある。すでにそこに書かれているテキストだけをしゃべることで、その言葉が持つ力、その言葉に何を見出すかを、聞いている方が感じ取る余白が生まれる。
役者が感情を乗せるのは、自分以外のすべてのセリフ、構成を体に叩き込んでから。
この映画全体も、そのように作られているからか、しっかり長いセリフを吐くにもかかわらず、胸に迫る、妙な余白があるのかもなと思った。完全な憶測ですが、、、。

僕もマンガの作り方として、「感情を乗せれば自然にいいセリフは出てくるでしょ!」という盲信ではなく、
まず豊かでしっかり意味があり物語を語るべき洗練されたセリフを書き、キャラクターにまず喋らせて、全体の会話や流れを作り切った後、最後に感情を乗せて
キャラに芝居をさせるっていうやり方を試そうって思ったんだよな。

いや、本当にやりたいのは、、、濱口監督が独自の手法によって、どの作品も映画ならではの濱口節を炸裂させているように、僕も独自の手法を見つけて、マンガならではのつのだ節を炸裂させたいのだ。

2025年は、「運命のリフォーカス」の連載でヒットを出すと同時に、
自分の創作スタイルを確立させたい!と思った。
なので今、そっち方向のアンテナもバキバキに張っている。

そんなことを考えながら、ネームを描き続け、1月5日、最新のネームがこちらです。▼

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地方移住したマンガ家とその家族が、日々の生活で何を思い、何を創作し、どう暮らしているかがわかります。

出会いをぜんぶ、マンガにする。 自分の生活と、どんな出来事も味わい、マンガにしていくマンガ家の日々の日記と、移住した糸島での暮らしを描いた…

ふむダチのみなさま、ほんのひとつのいいねやコメントが僕の日々の力を倍増させます!ありがとう。サポートなんてされた日には、昼飯にプラス100円でオプションのおかずつけちゃうくらい気持ちがはずむよ。ふむダチに見てもらえてるということが元気玉になる。!