見出し画像

「ふむの楽屋」と僕。

改めて、初めまして。マンガ家のつのだふむと申します。
来てくれて、ありがとうございます。


画像1


◯週刊連載作品のこと

僕は今(2020年8月)、LINEマンガで「りさこのルール」というマンガを連載しています。

画像2

主人公・園田が、映像作家として史上初の「ノーベル文学賞」を受賞するところから始まり、しょぼくれたワナビー青年だった園田が、いかにしてノーベル賞を得るに至ったのか・・・?

という話です。

実は、
何を隠そう、

これはほとんど僕自身の物語なのです、、、!


画像3


◯マンガ家になる前の話

僕はコルクに所属してマンガ家になる前、
サンディ」という映像制作会社で働いていました。
(のちに僕の担当編集となる佐渡島庸平氏の愛称は「サディ」。何の意味もないのだが、触れないで進めるのも気持ち悪い程度の符号です)

画像4


サディとの定例会でのバトルを描いた初期マンガはこちら。


話がサディに逸れすぎました。
僕は同級生の仲間が立ち上げたその「サンディ」に、
ちょうど派遣社員をやめたばかりのタイミングで誘ってもらい、
そこから4年間、とても楽しく勤めました。
そこでの経験と仲間との思い出は僕の一生の宝。

画像5

(「色紙の価値を8億倍にしてみせましょう」と言って別れを告げた時の写真。)


僕は思う。

当時の、映像ディレクターとしての僕のうだつの上がらなさ、
そのくせビジョンだけは大口を叩くそのさま、

全てがりさこのルールの主人公・園田そのものであると、、、。

何せ僕は、撮影現場で
役者全員に呼びだされ、土下座したこともある、希有なショボ監督なのです。

もちろんその時の情けなさ、緊迫感もマンガに入れています。

画像6

これとか、



画像7

ここで表現!つらい!





◯僕が超一流の作家になるにはどうすればいいのだろう


画像13

マンガの中で、僕はまず園田が「ノーベル賞をとる」というところから描いたけれど、描き始めた頃は、どうやったら実現できるのか、全くわかりませんでした。

まさに、現実の自分と一緒だ。どうしたらいいかわからない。

実は、そもそもこの「ノーベル賞をとる」という冒頭のアイディアとプロットを書いてくれたのは、マンガ家仲間の羽賀翔一くんなのです。

画像8

左ね。現在、ハト部をcakesで連載中

僕は園田というほぼ自分の主人公を描きながら、
マンガの中でも、その大きな具体目標をバーンと打ち立てられず、
自分の小さなエリアの中をうろうろするような物語を描こうとしてしまっていた。

その小さな物語を、羽賀くんの思い切ったアイディアで打ち破って、
大きな物語が生まれる可能性が初めて出てきたのです。

そして僕は気がつきました。

僕の人生の物語が動くときには、いつも助けてくれる人がいるぞと。

つらい派遣社員時代を経て、仲間に映像制作会社に呼んでもらった時も。

コルクの佐渡島庸平氏に作品を持ち込んで、「一緒にやろう」と言ってもらえた時も。

「つのだふむ」という名前を新たに作って、
Twitterを始めて、「ふむ会」というファンミーティングの会をやった時も、
ファン(ふむダチ)ができて、まだ何者でもないような僕を応援してくれました。

佐渡島さんとともに、僕に編集アドバイザーとしてついていてくれたコルクラボのむーさんも、支えてくれた。

そしてマンガ連載のための準備が本格的に始まるときには、
僕にクリエイティブの全てを教えてくれる師匠にも出会いました。
絵やマンガのことだけではなく、僕がいかに狭い価値観と世界で生きてるか?
それをはっきりと知らしめてくれた、大きすぎる出会いです。

そして、今、僕はコルクに所属し、
コルクの方達のたくさんのサポートを得て、活動ができている。

僕の人生が動くときには、助けてくれる人との出会いがある。

実はそこに、りさこのルールの園田がノーベル賞を受賞するに至るヒントがある。
そう気づきました。



◯園田と僕がほしいもの。

画像9

画像10

園田はどんな厳しい局面に置かれても、出会った人に助けられ、成長し、
打開しながら、とにかく人生をどんどん回転させて、転がる石となって、
いろんな人や物事を巻き込んでいって、でかい雪だるまみたいになって、
もう止めることはできないくらい大きなエネルギーで、
ノーベル賞に突っ込んでいくのではないか、と思いました。
ものすごく極端な話。マンガは極端を描く。

そして、それでも園田は止まらない。

ノーベル賞の先も、人生は続く。1人で続くのではない、人々との出会いや別れ、交わす会話、過ごす時間、それそのものが、園田の物語だったのだ、ということに、いつか止まって朽ちるときに、空を見上げて気づくのだ。


僕は今、りさこのルールというマンガで、そのような物語を描こうとしている。

そしてそれは、僕自身の日々の生活にも、限りなくリンクしています。

僕は自分の人生でも、正直、
作家として園田のように「ノーベル賞」まで到達できたらいいと思っている。

しかし、現状、到底達成できるようには見えない。

達成するには、どうしたらいいのだろう?

それにはやっぱり、これから先も、たくさんの人に助けてもらうしかない。

画像15

僕が動き、人と出会い、助けてもらい、ちょっとずつ、デカすぎる夢の実現の可能性をつかんでいく。

そう考えたとき、
「マンガの評価、売れ行き」ということだけが、
僕の未来を左右するものになると考えるのは違うのかもしれない、と思いました。

僕がマンガを発表し、読者が読む、という一方向の関係だけでは、
仮にマンガが売れたとしても、ノーベル賞までいけるだろうか?

いや、そもそも、人生は豊かになるだろうか?

僕が求めているのは、
ノーベル賞という目的地につくことではないのかもしれない。
人生をより良くしようという中での、人との出会いや、出来事そのものが、人生に求めていることなのかもしれないと、最近よく思います。

「出会い系」というと、いかがわしい雰囲気になるが、
人生はいつだって出会い系ではなかろうか?

そこで生まれる物語こそ、
実はマンガそれ自体よりも大切なものなのではないだろうか?

僕はその、おそらく人生で最も大切なものを、今後もう二度と見逃したくはない。
ノーベル賞もとりたい。


◯もっと助けを求めたい!

映画の撮影中に役者全員に呼び出されて、土下座をしたあのショボ監督の頃。

土下座2


あの頃僕は、仲間やスタッフを頼り切れていなかったのかもしれない。
ギリギリまで自分でどうにかしようとした結果、最悪ギリギリの状況を招き、役者に土下座して謝らざるを得ないところまでいってしまったのだ。

しかも、よく考えたら、僕が土下座をする必要はなかった。
土下座までスタッフから奪ってしまったとも言える。
そのくらい、助けを求めず頼らなかった僕は、本当に未熟者です。

土下座1

僕は、これからはもっとはっきり助けを求めていきたい。

そうやって力を借りて、いいものを作り、みんなを楽しませ、いい人生にしたい。

この世は1人ではできないことばかり。
当然、僕1人では、ノーベル賞は獲れない。このままでは来世でも獲れない。


もしこの人生が、

ノーベル賞や、アカデミー賞を獲れるところから始まる物語だとしたら。

どうやって、獲るまでの物語を描くか?

このnoteで、みんなと一緒にその物語を作り上げていきたいと思っています。

作品そのものと同じくらい。いや、それ以上に、
この場所が作品のような掛け替えのない物語の記録の場になるように。


◯さいごに・・・

本当に、僕がたくさんのマンガ作品を生み出すのに並行して、
この場所自体も、貴重な作品になっていく予感がしています。

僕は「りさこのルール」でデビューをしましたが、今はまだ、
無料配信が基本の週刊連載のみです。

それなのに、作品ではなく
作品の前後の物語を記していく「ふむの楽屋」が有料マガジン。。

楽屋が有料!

でも、いい作品を作るための、人生の物語や出会いが、最重要と考えて、
作品が無料で読める時代に、僕はここをあえて有料とさせてもらいました。

作品も、僕のこのような文章や記録も、楽しんで読んでくれるファンの方には、
ぜひ定期購読して、楽しみながら僕を助けてほしいです!僕も楽屋に色々と飾ったり、今ハマってるお菓子とか用意したり、おもてなし楽屋状態にして待ってます!

「ふむダチ」といろんな交流をして、作品に良い影響を与えていきたい。
オンラインイベントも、リアルのイベントも、開きたい。

まだ、これからですが、「これから」ってすごく希望に満ちている言葉だなと思います。

僕と、最高のこれからを一緒に作ってほしい!


長い話を、最後まで聞いてくれてありがとうございました!

つのだふむ、


画像12

と、きよちゃんでした。

ここから先は

0字
地方移住したマンガ家とその家族が、日々の生活で何を思い、何を創作し、どう暮らしているかがわかります。

出会いをぜんぶ、マンガにする。 自分の生活と、どんな出来事も味わい、マンガにしていくマンガ家の日々の日記と、移住した糸島での暮らしを描いた…

ふむダチのみなさま、ほんのひとつのいいねやコメントが僕の日々の力を倍増させます!ありがとう。サポートなんてされた日には、昼飯にプラス100円でオプションのおかずつけちゃうくらい気持ちがはずむよ。ふむダチに見てもらえてるということが元気玉になる。!