測らない勇気。
こんばんは、ふむダチ(濃いふむファン)の皆さま。
更新が遅くなってしまいごめん!本当の本当に来月7月25日から、僕がネームを作っている新連載がNewsPicksで始まるのだけど(延期に延期を重ねている)、
それがいよいよ大詰めで、舞台裏はガチャガチャしています。それも含めて楽しめているけれど、時間には限りがあるから、noteを書くのもこんな時間に。
それでも、note用のマンガを描き下ろした。
週刊楽屋ばなし、始めます!
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今週、僕はふと、「自分の物差しを持て」ということがいいことのように思っていたけれど、「その物差しめっちゃ短かったら全然測れないんじゃね?」という気持ちになり、それをマンガにしてみた。▼
書いている途中で(ちょうどシッタキ・ニナルの悪魔が出てきたあたり)、
「なんでこれ描いてるんだっけ、、、?」とわからなくなったが、「わかる」ことへの懐疑をそもそも描いているマンガだったので、最後まで描いた。
僕は「わかる」ということをいいことと思ってきたけれど、限りなく「自分の知識の中のどれかにカテゴライズする」ということをやっているに過ぎない、「わかった気になってるだけ状態」はものすごく危険だなと思ったので、それこそわかりきる前にこのマンガを描き始めていた。何を言ってるのかという感じだが、何かをわかりきったことなんて人生でどれほどあるのか。そう思えば、わからないでいることを恐れずに、それでも語り出す、描き出す勇気というのは、いいじゃないか。わかった気になっているよりも。
「曖昧なものを曖昧なまま受け取るのはクリエーターの重要な能力」というのは、僕の絵の師匠の言葉。
曖昧を恐れ、自分の安心のために、自分が知ってる何かにカテゴライズすることは、、、全知全能の神がやるならいいけれど、この世のほとんどを知らない人間がやってしまったら。その素晴らしい曖昧は、どれだけつまらなく矮小化されてしまうのだろう。
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先々週から、このnoteも「基本マンガで描く」をやっているので、言葉はこのくらいにしよう。
僕のイラスト
今週Twitterにアップした、僕の夢日記マンガ。▼
この夢日記まんがを始めてから、曖昧を曖昧で受け取ることは、むしろ相当踏ん張らないとできないことだと実感している。人は皆、出来事に自然と意味づけをする習性がある。点が三つあれば、顔だと認識してしまうくらい意味づけをするのが人間だ。
、、、曖昧な夢を、整えてマンガにするほど、なんかね。なんか、違うな、ってなる。いや、曖昧なままの夢をマンガにされてもつまらんわ、って言われても、何にも反論もないが。笑 これは、僕が楽しくてやっているので、いいねも全然つかないけど、申し訳ない、やらせておくれ。僕なりに色々試してもいるから、時限爆弾を仕掛けていることにもなってるのだ。
ここから先は、楽屋の奥(有料部分)にて、今週の僕のチーム内でのみ出してる創作日記を公開。▼
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出会いをぜんぶマンガにする、インサイド・ストーリー
出会いをぜんぶ、マンガにする。 自分の生活と、どんな出来事も味わい、マンガにしていくマンガ家の日々の日記と、移住した糸島での暮らしを描いた…
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