日常と非日常をまっぷたつに。
前回の投稿のあと、ものすごく体調を崩した、季節の変わり目。
急激な気だるさ、頭痛、熱っぽさ、節々の痛み。加えて下痢P。今はようやく回復して、日常を過ごしている。のこるは下痢Pのみ。
前回の続き。
劇場映画一作目上映終了の後、特に次につながる具体的な話が浮上しなかった私は、「もう、勝手に作っちゃえばよくね?」の境地へと到る。
もともと勝手に作る気質の持ち主ではあるのだが、それを再刺激したのが近年のフリースタイルラップブームと、
それに関連して読んだ書籍 漢a.k.a.GAMI「ヒップホップ・ドリーム」
と都築響一「ヒップホップの詩人たち」 である。
映画にも昔から「自主映画」「インディーズ映画」と呼ばれる、いわゆる「勝手に作る映画」があるし、私も大学時代に自主映画をやってきた。そしてそこには多分に即興性があった。下痢Pなので詳しくは書かない。
その上で私が今、上記のヒップホップカルチャーに感銘を受けたのは、彼らは日常の中にヒップホップがあることだった。
なんと言ったらいいのか。たとえば私はこれまで、
日常を「生活」、非日常を「作品作り」のようなかんじで
まっぷたつにわけていたように思う。
ヒップホップは、もっと初動がラフで、それこそ適当にビートをかければ即興でフリースタイルも始めるし、ビートすらなくたって目で見たもの全てで韻を踏み続けられるし、いつでもどこでもリリックを書ける。
それが「準備」という堅苦しいものでなく、もう「創作」に一瞬で踏み込んでいる初速の速さがいいな、と思った。日常の中に、無理して創作時間をぎゅうぎゅうつめこむのではなく、じゅわーと溶け込ませていくような、無理のなさ。(もちろんレコーディングとなれば時間もかけるだろうが。)
ZORNというラッパーの曲 「My life (Prod. by DJ OKAWARI) 」 の
「洗濯物干すのもヒップホップ」という詩にはやられた。
なにしていようが私がやれば日常すべてヒップホップだ、というこの哲学はいろいろ考えさせられた。
ちなみに、ヒップホップが持つ「ワルさ」みたいなものはもちろん魅力的だし、自分にないそういった部分がハマった要因でもあるけれど、今回はあまり関係のない話なのと、下痢Pなのでおいておく。
そんなこんなで、ヒップホップ的精神で毎日ビートとリリックを刻みたくなり、始まったのが今連載中の「CLOUDMAN-さわれぬ日々-」だ。
とにかくラフに、迅速に、でも今持てる最大限のスキルを活かして、毎日その日の気持ちをちゃんと反映させて紡いでいく。
2016年の暮れに、個人的にとてもショックなことがあり、2017年から始めたこの創作は、その心理的影響が色濃く出ているのだが、そういうリアリティも、この創作方法だと隠すに隠せず出てきてしまう。それもこれまでの作り方では出てこなかったものなので、面白い。
そうしてろくにインフラも整えぬまま作り続けて3ヶ月が経ったころ、そろそろこれをまとめてどこかへ持ち込もうと思った。
「プロフェッショナル〜仕事の流儀〜」の佐渡島庸平さん回 の再放送をたまたま観た直後で、直感的に佐渡島さんが立ち上げた「コルク」という会社に持ち込み突撃をしたのが、2017年6月末のことである。
(つづく)
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