マンガ家の心得<第四得>
今回は、「特に僕ができていないこと」の話です。
わかりやすく、一つ例を出しながら話します。
「チャーハン写真事件」
まずは僕のこの投稿を見て欲しい。
、、、僕は日々、修行の成果として、得た知見をこうしてツイッターやnoteに投稿しています。
このチャーハン投稿も、その一環でした。
しかし先日、修業先にて、、、、
「『チャーハンに学ぶ創作の極意』『わりといい感じにできて喉がゴクリ』
って言ってこの写真はやばくない?」
「美意識が、変わっていない!!」
、、、と呆れられました。
そうです。
内容に、実践が全く追いついていないことが白日の下にさらされたのです!
講義を受けて、創作の極意というヤバいトピックを語るのに対して、この写真の撮り方の雑さ。
講義では、あらゆる部分に美意識を張りめぐらせる、ということを基本原理のように常に教わっていました。
ところが、このチャーハン写真だけではなく、日々のツイートも、
ここのnoteでの「マンガ家の心得」シリーズのトップ画像も、
「えっそれでいいの?」というチョイスをし続けていました!!
百歩譲って画力はすぐに変わらないとしても、
チャーハンの写真の撮り方くらいは考えて詰めることはできたはずです。
内容が正しくとも、実践が伴っていない投稿。
「ぷぷぷ」と思って見ていた人がきっと何人もいたことでしょう。
・僕の根本にある大問題
ここへきて、ようやくひとつの大問題を指摘されました。
それは、
僕の根本にある「雑さ」「仕上げなさ」。
「ふむ君は、仕上げをまったくしてきていない。」
「ちゃんと作品を終わらせてたくさん生産しているから
『完成力』があるのかと一瞬思ったが、違う。
一番大変な『仕上げ』という工程をまったく経ずにリリースしているから、完成はひとつもしていない。」
、、、作品づくりや、日常におけるあらゆることは、100パーセントを完成とした場合、90パーセントまでやったあとの「残り10パーセント」の仕上げこそが大事。
僕の場合、どんなに仕上げているつもりでも
「90までやったんだから、とりあえずいいや」
ですべてを終わらせてしまっていたのです。
そして「90」で終わったモノというのは、
その実「10」レベルのモノなのです。
プロのクリエーターとして作品作りを目指すのであれば、
100まで仕上げることを目指すのは基本。
「まあまあの完成度のアップル製品」なんて誰もほしくない。
アップル製品はあの完成度で初めて価値になるのと同じです。
逆にいえば、
最後の10パーセントまで仕上げたモノというのは、
100を何倍も超えたモノとなる!
先ほどのチャーハン写真。
丁寧にやるのであれば、まず一番美味しそうな写真のチャーハンを検索して真似た撮り方をするだとか、色々あるはず。
だけど、僕はアツアツを早く食べたくて、ざっくり1枚撮って
食べ始めてしまった。
で、ご飯つぶが汚いな、と思って焦り、
フォトショでちょっと加工する始末である!(ひどい!)
↑不自然なご飯粒のアウトライン
僕のこういう根本的な雑さを丁寧にしていかなくては進化はない。
切実にそう思いました。
そして、ここまで一ヶ月強、修行として座学をたっぷりと浴びてきましたが、ここから先の勉強は僕の「雑さ」「仕上げ力」が変わらない限り、
教えても意味ないとのことで、一旦座学は中断となりました。
「りさこのルール」ネームやマンガ専科課題、仕事マンガをやっていく中で、これまで得た座学を投入して、丁寧に仕上げ、美意識の根本が変わってきたなと判断された段階で第二章に突入します。
丁寧にするとはどういうことか?
今の僕が絵をゆっくり描くことが「丁寧」というわけではない。
失敗したチャーハン写真のようにならないために、
目的地を明確にし、たどり着くまでの経路のいろんなパターンを考え実践し、選んで研ぎ澄ましていくということをやります。
ただ「模写をするぞ!」「絵を真似するぞ!」ではなくて、目的地によって選んでいくという思考の丁寧さも重要だと気づきました。
道のりは程遠い。
でも、急がば回れ。
一つ一つを丁寧に仕上げ、完成させることでしか道は拓けないと気づかせてもらえて、本当によかった。
ひとまずここまで、丁寧に教えてもらって、とても感謝しています。
ここまでの「心得」を、読んでくれた方が創作や日常で少しでも生かしてくれたら、とても嬉しいです。