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自分の人生のかたちを知っていたい

今、「さよならだけが人生だ」という言葉について調べていた。
漢詩を井伏鱒二が翻訳して出た言葉のようだ。

なんで調べたのか?

それは僕が今回のnote用に描き下ろしたこの取り留めもないマンガを自分で読み直していて、ふと頭の中に浮かんだからだ。▼

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最近、描きながら思考を辿るというのが楽しくて、それゆえに「何を言ってるの?」と思う人もいるかもしれないが、これを自分で読み直して「さよならだけが人生だ」という言葉が浮かび、「ああ、人ともモノとも、僕はこれまで無数のさよならをしてきたのに、それをなぞっていくと人生の輪郭が見えるかもしれないのに、さよならした記憶をろくに思い出してもいなかったな」と思ったのだ。思い出したとて、その記憶の忠実性もあやふやなものがたくさん、という。
「思い出せない」とすら思うことのない、消え失せてしまった過去があるのだと思った時に、なんとも言えない気持ちになった。

僕がなんでこのマンガを描いたのか、、、多分、人は誰しも、時に自分の人生を振り返ると思うんだろうけど、マンガ家はその振り返り量は圧倒的なんじゃないか、と思ったからだ。みんなが覚えているようなドデカイベントだけじゃなくて、誰も覚えていないような瑣末なことを圧倒的に覚えていて、そこからいくらでも物語を作れる。僕もそうありたい、そのことをしっかり意識したい、と思ったのだ。現実の瑣末なことをくっきりと忘れずにいること。細やかな感情をセットで記憶するかどうかが、鍵だろうな。それはつまり自分の心の動きに敏感でなければならず、それが人生を深く記憶していくことになって、振り返ってもくっきりとした記憶を呼び出せる。マンガ家としてもそれがいいけど、そもそもこの人生をより良く生きるということでいっても、きっとその方がいいんじゃないか。今の僕はそう思った。
夢日記を描き続けていると、前より夢を覚えていられるようになった。
同じように、日常のことを振り返りマンガでしっかり描いてると、日常がよりくっきり記憶できるようになると仮説が立つ。

妄想の一夏の思い出もいいし、夢ん中もいいけどさ、、、現実の方がたくさん豊かなことがあるだろって話だよな。

、、、そんなこんなで、改めて「しっかり日々を振り返る」というマインドがセットされた今回は、このnoteでもこの1週間の自分をいつも以上に丁寧に振り返ってみたよ。



▼Twitter版リアル・ユーのこと。

僕は昨日、このような投稿をした。

これを書いた理由は、本当にツイート内容そのままのことを思ったというか、エンゲージメントが15万とか20万とか毎回超えていて、絶対かなり読まれているのに、読んでもいいねを特に押さない人がいっぱいいて、その人たちに「押してくれたら嬉しい!」と、ユーチューバーの「チャンネル登録お願いします!」くらいはしつこく言ってもいいかな、と思ったので。

僕は4月のリアル・ユー電子書籍発売時から、Twitterで時間をかけて全話投稿しようと考えて、今も続けている。僕のフォロワーが一気に増えたこの断片投稿▼
が静まった後、改めて序盤から掲載している。

ねとらぼさん記事▼


書籍を売りたくて、途中までちょっと見せる、みたいなのは多いと思うけど、僕の狙いはそれではなくて、TwitterではTwitter版として「全話載せる」。
厳密には、実は電子書籍版よりもカットされている部分があるディレクターズカット版で、僕なりに「ここ切っても伝わるかな。むしろツイッターではこれの方がいいな」とか考えて再編集している。さらに電子書籍版も縦スクロールのLINEマンガ版とは演出の違いがあるので、全て違うのです。読者はほとんど気づかないレベルのところがほとんどですが、僕はだいぶ色々試してはいる。ツイッターではヒキの作り方や冒頭をちょっと変えたり。

まあそれはよくて、話を戻すと僕は「Twitter版リアル・ユー」を日々投稿し続けることで、どこまでこのマンガの認知度は上がるか。例えば毎話このインプレッション数があって、たまにバズったりしているマンガがここまで数ヶ月続いて掲載されていると「リアル・ユー?、、、あ、なんか見たことある!」って人、じわじわ増えるかもしれないな、と。そうなったら、また違う展開での見せ方もあるかもしれないなとか。それと、またあの5.5万バズした刑務所シーンが、この連載の流れで来たときに、同じようにバズるのか?全然バズらないのか?じゃあそれはなぜ?とかも確認したいし、「りさこ」を本編よりもずっと打ち出していないTwitter版の最終回が、どのように受け止められるか、というものみたい。

そういうタイミングが近づいてきたこともあって、読者に話しかけるような上記ツイートをしたのです。

そしたら返信やDMで、実はファンで追ってますというファンレターをもらい、嬉しかった。「生きる糧になってる」という育児中の主婦の方からの言葉とか、僕こそその言葉が生きる糧になります、という感じだ。どうしてこのマンガがその人に刺さっているのか?僕の手を離れて、このマンガがいろんな人のところに行って、いろんな人の生活にちょっと入り込んで、もしかしたら人生の中でもちょっと入り込んだとしたら、それを想像しただけで、失禁しそうになるんだよな。
つくづく、この仕事を天職だと思う。




▼今週描いたドリームダイアリー、そしてそれの終わり。

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今週、2本しか描いてなかった。なぜだろう?基本毎日描こうと思っているのに、5日も描いていないわけだ。それほど余裕がなかったのか。先週と比べて?そうだろうか?

ちょっとここで、ドリームダイアリーの一本目を振り返って、話をしたい。▼

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①初期は、印象的な部分にカラーを入れていた。
②僕のキャラはインコの着ぐるみではない
③夢である、ということを毎回ラストで伝える


これが初期のルール。
①は自分のカラーリングスキルを上げるレベルでちゃんと取り組むなら有意義だけど、サクッと塗っても、モノクロと比較検証してマンガの反応への影響のは皆無だったので、カラーはやめた。塗るならスキルに繋がらないと意味はないと判断。
②は僕の新しいキャラクターアイコンとして、ドリームダイアリーに限らず、全ての日記マンガで適用している。僕は2羽のインコを飼っていて、日常の中でインコを見つめることでいろんな思索をすることが増えた。ただのペットではない感じがする。インコの寿命は10年以上。だから僕はインコを見ていると10年先のこととかを考えることが増えた。なので、今僕はインコを纏うことは僕なりには意味がある。が、デザインや、マンガとしての画風、画力は磨いていくのは前提だけどな。
③は、今は夢であることを言わなくしていて、これは確実に言わないほうがいいと思っている。こんな夢を見た、という前提を外した方が、なぜか臨場感が出たと思っている。


、、、①〜③と振り返ってみたが、正直「どうでもいいわ!」という声も聞こえてくる。そもそもこのシリーズ自体どうなんだということを振り返れよ、と言われたら、それは確かにそうだろう。今週投稿が2本だったのも、自分で「これをただこのまま続けることはできるけれど、それだけではいけないな」と直観しているからだと思う。
「抽象画のマンガ版として、まとめきらない自分の感覚を描く」という狙いで30本くらい描いた。やってよかったと心底思う。そして、数的にも、いい区切りで振り返った。これをやったことで感じた新しい感覚も色々あった。

よし、次のステージに行こう、と今決めた。
このシリーズで1pマンガを気軽に描く感覚は相当得たから、次はこういうことをやろう、というのが自分の中で持ち上がった。それは、有料部分でいつも掲載しているまとめ「1週間の振り返り」の方とつながってくるので、そちらで書きます。

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ここから先は、楽屋の奥。有料部分になります。
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